鶏を飼って愛着を感じて以来、じわじわと愛鳥家の道を歩んでいます。もともと生き物への愛情は強い方ですが、鳥に思い入れができるとは予想もしていませんでした。だのにすっかり鳥に魅せられて、いつも声のする方を探してもなかなか見つけられず翻弄されていますよ。いずれ声だけで、シルエットだけでピタッと見分けられるようになるのかしら。世界中とは言わないまでも、せめて近所の鳥たちのことはわかるようになりたいですね。
そんな私が先日たまたま珍しく一人で歩いていると、とても小さな鳥の気配を感じました。ハチかと思ったけれど羽音もなく、体に比してうんと長いくちばしでアザミの蜜を吸ったのです。まさかと思うけどハチドリなのかしらと近づこうとしたらすぐに飛んで行ってしまって、ときめきだけが残りました。人生で初めてハチドリを見た。それも極近所で。なんて素敵な出会いを授かってしまったのでしょう。また会いたくて近づきたくて知りたくて、すっかり恋心を抱いての数日を過ごしました。
再会のチャンスは早くに訪れました。また同じ場所で、今度は子供たちも一緒でした。ほら、やっぱり居たよ、ハチドリやで、ホバリングして蜜吸ってるで、と見せてあげたけれど、上の娘がなんだか妙な表情をしていました。その時はすぐに逃げず、写真を撮ることもできました。確かにハチのようでハチドリのようで可愛らしいのですが、もしかしてもしかして違うのかと、恐る恐る調べてみました。
結果は私の完璧な思い込みで、スズメガの一種のホウジャクという虫でした。そもそも日本にはハチドリは生息しないのに、南北アメリカ大陸だけの生き物であるのに、一年生の教科書にも登場する鳥だし、勘違いして浮き足立つ日本人はわりといるようですね。ああ、なんてこと。一目惚れした相手がろくでなしだったと知らされた気分です。或いは後姿で浮き足立って前に回ってガックリ、といったかんじでしょうか。そんなことは自身の人生ではついぞなかったのに、鳥にときめいたばっかりに新たな心境を味わうことになりました。
でもきっとここからが肝心です。「騙された」と思うも「勉強になった」と思うも、多少思い込みはあっても自分次第であるし、たとえ蛾であったとしてもその姿は好ましいと感じられたら、出会ったことに感謝はすれ後悔はしません。もちろん正直ガックリしてしまったし、実物のハチドリへの恋慕が膨らんだことは認めます。とはいえハチドリを思わせてくれる虫が近くにいるなんて、やっぱりなんだか嬉しいし、虫愛づる姫に憧れる身にしてはむしろ恵まれた出会いだったのでしょう。
小さな小さな鳥のような、虫のような、まだ見ぬ妖精のような。そんな生き物が居てくれて、生き続けてくれている世界の一員でありたいものです。五歳の息子はとかく大きな生き物への憧れが強く、何かと言えばブラキオサウルスだのシロナガスクジラだのオオワシだので、それも健全な成長でありますが、生き物の始まりは小さかったこと、滅びずに生き残り続けてきた物も小さかったこと、そして小さな生き物の底知れぬパワーを折に触れて感じる余裕がありたいものです。だって「小さな生き物」と聞いて思い出すのはいつだってムーミントロールたちなのですから。小さな生き物のただならぬ有様はよくよく知らされているものですよ。きっとまたホウジャクというスズメガの一種には会えます。その時また感激できたらいいな。そして幻になってしまったハチドリにいつか会えたらどんなにか幸せでしょう。恋は成就せずとも愛を知る。気の持ちようが生き様ですね。
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